マダムのファンはみんなホンダという名前なのね(Tous les fanatiques des Madames s’appellent Honda.) - 発表されたばかりのThe Madame Catsの『no control』について
全12曲。ライヴならびに既発作品集でおなじみの名曲がずらりと並ぶ・・・あぁなるほど、過去のナンバーを新しい環境でレコーディングし直したアルバムか、と思ったお前は本当のバカだ。
Madame Catsの4人は、自らの名曲群に対して、大胆にも、かつてとは全く異なるアプローチを取った。ここには、古代ギリシアで演じられていた「オイディプス王」とパゾリーニが1967年に撮った『アポロンの地獄』の間くらいの、驚愕すべき(そして、祝福すべき)開きがある。
まず、マダムの顔とも言える、Madame Whoの歌い方が違う。
アメリカの少女たちのような、破裂するような歌唱なのである。
「二人のアメリカ娘が挨拶をかわすのを観察するのにまして楽しいことはない。二人の会話はつぎつぎと破裂する癇癪玉みたいな音がする。二人とも絶妙なくらい支離滅裂で・・・(後略)」 - オスカー・ワイルド
又、リズムのニュアンスが違う。この、華麗に歩く者たちに対して不信感を表明するかのようなリズムの果てにあるものは、「美貌の青空」(土方巽)であろう。
そして、全編に渡ってシーツのように敷きつめられている重低音。これについて、アメリカや日本の地下音楽/アヴァンギャルド音楽のいくつかを引き合いに出して語ることをわたしは控えたいと思う。そもそも、それは、わたしの任ではない(きっと、わたしの知らない専門家が言及するだろう)。
今までわたしは、たくさんの音楽を聴いてきた。が、こんな音楽を聴いたのは初めてである。斬新な、余りにも斬新な音楽である。マルクスの『共産党宣言』やロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』がそうであったように、『no control』は、未来の芸術であり、未来の音楽である。
「鈴木いづみとヤードバーズの出会い」と評されたMadame Catsはもういない。この「ノーコンが丘」には、革新的で、未来派的で、野心的で、破壊的で、生意気で、挑発的で、可愛い顔をしながら全てを破滅させる「皆殺しの天使」がいるばかりである。
※ この記事は、メールマガジンに転載される予定です。
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